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【感想文】人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索(矢作直樹 著、バジリコ株式会社、2011年)

こんにちは~

 量子力学脳科学についての知識を漁っているうちに、表題の本に出会いました。

 読み終えてから気づいたのですが、この本は「死生観」というカテゴリで1位、「医学」というカテゴリで3位の人気本なんですね(Amazon、2018年8月某日時点)。

 なにせ臨床医というバリバリのお医者さんが書いた本であるため、中身が仮にスピリチュアリズム全開であろうと、ある程度読む価値があるだろうと思い、読んでみました。

 この記事の内容は、「『人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』を読んだ、ある工学系大学院修了生(修士)による脳科学とスピリチュアリズムをめぐる思索(感想文)」です。

 読もうか読むまいか迷っているあなたに参考になれば幸いです。

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基本情報

本のタイトル
人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索
本の表紙
著者
矢作直樹
出版社
バジリコ株式会社
ページ数
222ページ
出版年
2011年(9月)
内容構成(目次)
第一章 生と死の交差点で
第二章 神は在るか
第三章 非日常的な現象
第四章 「霊」について研究した人々
第五章 人は死なない

読もうとしたきっかけ

量子力学や脳科学から推定される「死後の世界」と医学による「死の推定」のマージ

「臨死体験」をされた方による話には共通点が多く、その中の1つが「時空が存在しない」というものでした。

 時間も空間もなく、行きたい所にすぐ行ける…

 ニュートン力学を是としてこれまで生きてきた者にとっては理解しがたい話ですが、そのあたりの話が書いてあればと思い読むことにしました。

結局「自分自身」とは何なのか?

 体を動かす「意識」こそが自分自身、だから実体が死んでしまっても「自身」は生きているのではないか?という仮説を最近読みました。

 意識は実体を持たない「波動」であり、「粒子」ではないから目に入ることはないという…。

 医者によるそのあたりの解釈なども知れると思い手に取りました。

内容と感想

概略

 第一章では、著者が医者として携わった患者の中で特に印象的だった例を記しています。

 第二章では、自然科学と宗教の住み分けと「神」とやらの定義について説明しています。

 第三章では、登山が趣味だった筆者が体験してしまった非日常的現象や、霊能力者との交流で遭遇してしまった死後の母との再会(?)の話を紹介しています。このあたりからスピリチュアリズムの色が濃くなってきます。

 第四章では霊(スピリチュアリズム)の歴史をざっくりと、そして第五章では本題でもある「人は死なない」という考えと生き方についての提言という内容になっています。

「霊の研究」(スピリチュアリズム)の歴史が学べる

 それがトリックであろうとなかろうと、霊の存在について研究した方々のハイライトが第四章に書かれており、スピリチュアリズムの歴史を学ぶことができます。

 今日振り返っても「この人は天才だな…」といえるレベルの功績を上げた人が、霊の研究を始めていることに驚かされます(本の中の登場人物の中では、スウェーデンボルグさんの功績は異常なレベル)。

 中にはノーベル賞受賞者の名前も(シャルル・ロベール・リシェさんとキューリー(キュリー)夫人、なおキューリー夫人は実験に同席しただけ)あり、スピリチュアリズムが最盛を迎えた時期があったことを感じさせます。

「人は死なない」という論理と「自分自身」の正体

 スピリチュアリズムおよび宗教においては、「我々の体は『魂』と『肉体』で成り立っていて、死に際して『肉体』は朽ちて消滅するが、その時に『魂』は肉体から離れてどこかにいく」(p.198)という考え方があるようです。

 生物学的、医学的な意味ではいずれ「人は死ぬ(=心拍数が0になり心臓が止まる)」わけですが、そもそも「肉体」は「魂によって動作するモノ」でしかなく、「魂そのものが自分自身だ」と考えれば、死と同時に肉体から離れる魂が存在する限り「人は死なない」…という論理です。

 パソコン(デスクトップ)で例えると…

 (特に自作をしない人は)ケース(「肉体」に該当)を含めて全てが「パソコン」だと思いがちだけど、CPUこそ(「魂」に該当、より厳密にはHDDやメモリ、電源etc.も含めるべきか…?)が「パソコンそのもの」であって、ケースは「CPUないしはマザーボードを固定するためのもの」でしかなく「パソコンそのものではない」、みたいな感じでしょうか。

 実際ケースなしでもパソコンは動きますしね(ネタだと思うけどカーテンレールにマザボをセットして「最強の空冷環境」とか言ってる人いるみたいですし…ホコリ丸かぶりですが(笑))。

死を恐れすぎている人にとっては一読の価値ありか?

 世間が認識する「自分」は死と共に消えてしまうが、自分自身は死と同時に肉体から離れるだけだから「人は死なない」、だから死に対してあまり恐れる必要がない…

 そう論理立てて理解できれば、死に対する恐怖が少しは薄まるのではないかと思います。

 なぜなら生物学的、医学的な死は終わりではなくまた新たな人生の始まりと解釈できるからです(いわゆる輪廻転生)。

 「生は死の始まり」とはなにかと言われますが、「死は生の始まり」でもあるのかもしれません(やや宗教的考えか)。

 ただ、死に対する恐怖感が薄まることで逆に問題になることもあるかもしれませんが…

著者(矢作直樹氏)が体験してしまった「非日常的現象」

 主に第三章には気功の体験、冬場の登山での体験、霊感の強い知人を介した亡くなった母との再会について記してあります。

 自分(著者)と母しか知らないはずの情報を、母の霊が乗り移った知人の口からでたことに著者は驚いた旨の記述があります。

リサーチするメリットはない?

 2000年前後だったかと思います。

 テレビで霊媒師っぽい人が出演タレントの過去について「あなたは幼少時代…○○に住んでて、母は△△という病気にかかりましたね?」と、知ってるはずのないことを言い当てる。

 それはまるで霊(出演タレントの親族の霊)から情報を読み取ってるかのようなパフォーマンスで、一時期その方が一躍有名になったことがありました(名は伏せますが)。

 ただ、あれは後年、前もってタレントの情報を逐一収集する「リサーチ」を行っていたという情報がリークされ(ただしそれが事実かどうかは定かでない)、ただのスゴいと思われたい婆さんだった(もしくはゼニ稼ぎ)…というオチに成り果ててしまいました。

 さて、著者の件はテレビや雑誌の取材によるものでもなければ、金銭の授受も(読んだ限り)ない、そして「霊感の強い知人」は普段は霊感があるということをまわりには言わず、ただ今回感じた霊が知人(著者)の母の霊だったから今回は特別に…と自身の体に霊を受け入れ会話する機会を与えた…

 ということで…全体的な構成が上記のテレビの件とは大きく異なっています(そもそも「著者が霊を感じ取った」という話ではない)。

「東京大学大学院医学系研究科 医学部救急医学分野教授 兼 医学部附属病院救急部 集中治療部部長」なる人がここまでしてあぶく銭を拾いに行くか?

 さて、上記の肩書は著者の現在の所属です。漢字がつらつらと並んでますが、要は「大学教授でかつ附属病院の部長」です。

 そんな権威ある著者が…言い方を変えると「カネには困らないであろう人」が、いわばあぶく銭(執筆にはある程度の労力を伴うが…)欲しさに胡散臭い話を上梓するか?と思うと、少し考えにくい(メリットがない)ところがあります。

 話がでっち上げだったとしたら、得する人が印税をゲットする著者(と出版社)という構図になってしまいますがね(笑)。

言うほど長くない(スゴくはあるけど)

 上記の肩書は本の表紙にも書いてあるので、人によっては「肩書を表に出すことで、『著者はスゴい人だから、この本の内容は素晴らしく、信憑性も高い』と思わせる権威主義者だ」という意見も(Amazonレビューで)あるようですが…

 僕の大学院生時代の所属もこれくらいの長さだったので(むしろ大学の所属だけなら私の方が長い…)、この肩書を見ただけで条件反射的に「権威主義者だ!」と主張するのはやや幼稚かな…と思います。

 上記でも書きましたが「大学教授でかつ附属病院の部長」でしかなく、それを紹介しようとしたら長ったらしい肩書になっているだけだと思います。

 余談ですが…肩書だけでは意味がない、ということは政治家が証明してますよね?

 肩書は「(相対的に)お勉強ができる(できた)」ことの証明でしかなく重要なのは「そこで何をしたか、その後何を果たせたか」だと思います(偉そうに語ってスンマセン)。

「霊が存在しないことを証明すること」と「霊の存在を証明すること」…どちらが「悪魔の証明」か?

 霊の存在の証明も、否定の肯定も現時点では難しく、「ただそういうこと(霊的現象)があった」ということを著者は記しています。

 「だから霊が存在するんだ」という肯定や押しつけもしておらず、また否定的でもありません。

 彼ほどの知識人になると、それを証明することなんて無理だ…という境地に達しているのかもしれません。

 我々人類が、今日に至るまでに知り得た科学的な事実を用いれば、ありとあらゆることが証明できるような気がするかもしれませんが、今日において人類が知り得た知見は、宇宙規模で見るとほんの僅かなことでしかないということをまず理解しないといけないということを思い知らされました(霊がいるのかいないのか「程度」の決定的判断ができないところからもお察し)。

 日常生活を営む上での「科学的知見」はもう十二分に備わっていると感じますが、人間がこの世の全てをある程度知り尽くしたという考えは、ただの自惚れで傲慢でしかない…とを感じました。

「霊の物質化」に成功した写真も添付してほしかった

 第四章の後半では、霊を「実際に物質化した=可視化した」例についての記述があり、写真も複数撮影したと書かれていますが、肝心の霊の写真は記載されていません。

ケーティ・キングさん(霊)

 しかしインターネットの世界はその不満を一気に解消してくれます。

 試しに物質化された霊のひとつであると記載があった「ケーティ・キング霊」を検索してみると一発回答してくれました。

…ん?

…えっ?なんで服着てるんや?(ケーティ・キング(霊)さんはどこで服を入手したのか?)これは胡散臭い…

 物質化というより、もはや人間の姿そのものです。

 ネットで出た文献・考察を一部見ると、やはり本物であるという断定はできてないことが伺えます。

 そりゃあここまで「物質化」できていたのであれば、これは相当な大成功ですからね…

「単なるオカルト」として切り捨てられるだけの知識を有しているか?

 今日の世界では、1か0か、是か非かというような、「シロ・クロはっきりつけたがる傾向」があると思います(僕自身もその1人です)。

 その問題は真実なのかフェイクなのか…どちらかの側について声高に主張し合う構図です。二元論ともいいますね。

 この本に記された霊的現象はまさに典型例で、「そんなもんないわ!」という人は、霊的現象を主張する人に嫌がらせでも受けているのか?と思うくらいに完全否定の姿勢をみせます。

 存在を主張する人でも「あるあるあるある!」という人も見受けられますが、どちらかというと存在派の方が「まあ…否定したい気持ちは分からなくはないけど、否定できないんだよね」というグレー寄りな意見を持つ人が多い気がします。

 なぜなら、現在の科学では「霊の存在」も「霊の存在の否定」も証明しようがないからです。

 「だからいない」ではなく、「だから分からない」という考えに至るのが科学に基づく(現時点における)1つの結論だと思います。

霊なんていない!と思うのも致し方ない(余談)

 僕も「霊」や「魂」という存在が、「量子力学」やその他学問との関連性を持っていることを知るまでは「霊?うっさいわ見えないものを見ようとするな(望遠鏡を覗き込んでも見えへんわ)バーカバーカ」という感じの否定断定派でした。

 なんせ霊を呼び起こす方々といえば…

公開霊言「北朝鮮―終わりの始まり―」(金正日・金正恩守護霊の霊言)  大川隆法

追記(2018/8/22):残念ながらYoutubeの動画は削除されてしまったようです。しかし、niconicoにて動画がありましたので引用します。
しかもご丁寧に「幸福実現党チャンネル」が公開している公式動画です(政教分離はどこへ…?^^;)
金正恩守護霊 公開霊言「北朝鮮―終わりの始まり―」抜粋映像

 大川隆法氏「じゃあ…金正恩の守護霊いきますかー

 そろそろ晩飯食いに行くかくらいのノリで召喚してます

 僕は再生から6秒で爆笑してしまいました。あなたはこの動画を最後まで笑わずに見ることができるだろうか…?

 コメディアンは彼の所作を研究する価値があるかもしれない

 彼が本当に霊を体に取り込んだ上での話なのかどうかはともかく、エセ霊媒師(大川隆法氏のことを言ってるわけではない)が暗躍する限り、否定派は勇気をもらい続けるでしょう(そして真面目に研究している科学者は迷惑を被る)。

意外と奥が深い霊界

 数年前まで完全否定派だった僕ですが、いざ少し勉強してみると想像以上に奥が深く、また科学的な考察も(ある程度)進んでおり、面白いなと思いました。

 もっといろいろな文献を漁って知識をインプットしたいと思いました。

 科学がオカルトを駆逐した例(大槻教授による怪火(鬼火や狐火など)が科学的現象(プラズマ)であることの証明)のように、今後現代物理学の発展によって「オカルト」というカテゴリに収まっていた現象が、科学的に解明されていくことを期待しています(それでも「霊的現象」は自身が生きているうちには証明されないだろうな…)。

さいごに

 「そう考えるのはバカバカしい」

 この言葉は「麻雀には流れがある」と言って聞かない人(いわゆるオカルト派)に対して吐き捨てるようによく言われる(言った)言葉ですが、こと霊云々に関しては「(現時点では)そう考えることで報われる」ことがあるのであれば、それでいいのかなと思います。

 ただし結論が出た場合、それがどういう結論であろうと受け入れないといけません

※なお、「麻雀の流れ」については、統計的考察において存在しないことが証明済(中央官庁勤務の某おっちゃんがやってくれました、今も勤めてるのかな…)。


ご参考まで(笑)なお、ちょっとローカルな麻雀ルールでの統計に基づく戦術書なので、現代麻雀にそのまま活用できるかは不明


では~

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